気学九星術には、日時盤が陰遁のみの
暦を使う流派がある。
その元祖は、大正時代に京都で
気学講堂を起こした田中胎東師と
ずっと思っていた。
故平山喜堂師の流派は、まさに
田中胎東流の気学を継承している。
田中師は明治31年の生まれ。
昭和18年没。享年45歳。
気学家として一派を成したのは
晩年の10年ほどとされている。
明治17年に発行されたある本は
年月盤だけでなく日時盤も
陰遁であるべき事を論じている。
それは陰陽遁の換局の不合理を
突いたもので、著者長年の考察と
実験に基づく結論という。
少なくとも、天海僧正が改竄、
という話ではない(笑)
こちらの方が時期的には早いが、
田中師との関わりは分からない。
気学論を完成する過程で陰遁暦と
出会ったんだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿